2017年2月19日日曜日

02/18/17 【言葉ってなに?考えるってどういうこと?】

やっと気温が零下からプラスになってきたBC州サーモンアーム。
このまま春に向かって暖かくなってくれますように。

言語学博士号を持つ言語療法士のBonnie Johnsonは、
ワークショップで用いた教材を、私は修了証を
手にしています。

言葉とは何だろう?
考えるってどういうこと?
子どもにどう説明したらいい?

そんな問いに答えてくれるワークショップでした。

心を紐解くアート作り:プロセスを大切にする 『心のアート・ワーク』の
カナダBC州公認アート・セラピスト&同州公認心理カウンセラー
上原英子です。 

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今日のトピは、

『Social Thinking:ソーシャル・シンキング』

日本語では、まだ見慣れない言葉でしょうか?

どういう意味かと言うと、

他の人の考えや気持ちを理解し、
場面に応じた適切な行動を導き出すために
鍵となる『考え方のこと。
他の人と一緒にいて心地よくいられる方法。
 
会場で見たビデオは効果的なアイ・コンタクトの取り方の指導法でした
https://www.socialthinking.com/



社会技能を学ぶ前に、
ソーシャル・シンキング 
ができるようになることが必須なのです。

自閉症スペクトラム障害:ASDを含む発達障害を持つ人は、
ソーシャルシンキング部分が欠如していることがあり、
集団の中で問題行動を起こしがち。

そこで、子どもが学齢に達する前から大人がこの考え方を指導したり、
モデルになる行動を取ることが大切なのです。

 
土曜日の朝からたくさんの受講生が集まった半日ワークショップ。
テーブルの上には箱が3つ用意してあり、一人ひとつづつ手に取ります。

中には、それぞれの箱に違うものが入っていて、3人で中身をシェア。
 
各自、箱に入れた小麦粉粘土、木のスティック、手で曲げられる遊具、
ハート、
シール、折り紙を持ち帰ることに。 

折り紙は何か折るために用意されたのではなく、今考えていることを
描くためでした。


画像が見難いですが、私はバレエ、アフリカン・ダンス、クッキー作りを描きました。

受講生に投げかけられた質問は、


 「考えとは何でしょうか?」

いろいろな答えが出た中で、子どもに分かりやすいのは、 

アイディア、
絵(写真)、
静かな(声に出さない)言葉。 


このthought bubble:吹き出しのシンボルで描かれます

「言葉とは何でしょうか?」

「言葉それ自体に意味はありません。
その言葉を各人がどのように解釈するかで、
意味付けがなされていくのです。」

例えば、「椅子」という言葉からあなたは何を思い浮かべますか?

Aさん「木の風合いが活かされている素朴な椅子」

Bさん「脚が3本のアーティスティックな椅子」

Cさん「折り畳み式の簡易椅子」

椅子という言葉だけでは各人の考えの一致が起こるとは限らない。

何だか哲学的な捉え方にも感じられました。
 
子どもがソーシャルシンキングを学ぶのに最適な教材がこちら。

10巻のThe Incredible Flexible You Seriesの絵本は、子どもが
素晴らしく柔軟性を持って考えられるように促す内容です。

 
子どもの教育のために母と祖母が揃って参加してロールプレイ
 
ワークショップの最後に修了証を頂きました!

たくさんの気づきを得たソーシャルシンキングのワークショップ。
これからもこの分野を学んでいきたいです。

 





2017年2月11日土曜日

02/10/17 【想いを言葉にするって】

今月のカナダBC州は零下10℃代が続き、大雪に見舞われています。
車の雪降しをしてクライアントに会いに行く毎日です。




想いを言葉にするって、それぞれの想いを言葉に合った色合いに変身させる作業のようでもあります。

心を紐解くアート作り:プロセスを大切にする 『心のアート・ワーク』の
カナダBC州公認アート・セラピスト&同州公認心理カウンセラー
上原英子です。 


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さまざまなクライアントと向かい合い、感情の問題に向き合う日々。

私はカウンセリングもしますが、アート・セラピーという非言語で、
視覚表現を用いる心理療法を専門にしています。

クライアントの中には発語がないケースもあるし、発達障害などで
頭でうまく文章をこしらえて話すことができない子もいます。


では発語のないクライアントには無言でセッションをしているのかというと、そうではないのです。

発語がない、知的障害もあるクライアントに対しても、
こちらから、いろいろ話し掛けるのです。


「あなたはこうなのかな?
それとも、ああなのかしら?」

「こういう描き方が好きなのね。違う色はどう?」

「黒一色がいいんだ。
今度はもっと太いペンを使ってみる?」

クライアントは言葉では答えられないけれど、
瞳に何かしらの反応が表われる。 


それを私なりに解釈し、またそれを相手に尋ねてみることで
コミュニケーションが築かれていく。

相手が答えなくても、こちらから話し掛けることで
クライアントとの関係性が近しいものになっていく体験を
何度もしてきました。

上手く話せなくてイライラしている

ある発達障害の生徒のケース。

クライアントはセッションの最後に、

 

を描いて見せて、

”I fun very a lot!"

「とっても楽しかった!」

セッションに対して最上級の喜びを彼の言葉で示してくれました。

クライアントとの言葉のやりとりは、相手の感情への細心の注意と共に
自分の中に相手の反応からひらめいたことを盛り込んでいく。
私にとって自分の行っている心理療法は、
とても壊れやすい大切な想い(例えば生卵)を
相手との間で行き来させるような作業。

それは感情労働として疲れる作業である部分もあり、
また、 何よりも心満たされる至福な瞬間でもある。

私はクライアントとのセッション以外でも、
他者への言葉に対してそんなアプローチをしてることに
気付いた。

例えば、
友人・知人とのメールでのやりとり。
SNSでの応酬。
 
いつ・どこで・だれが・なにを・なぜ・どのように

新聞記者として原稿を書くこともあるので、このあたりも
網羅して伝えようと腐心する。

相手へ向ける言葉をひとつひとつ選んで、
書いてはニュアンスがピッタリこなくて違う言葉を探したり。

一度自分が書いたものを何度も読み直して推こうしている内に
数時間経ってしまうことも。

「あなたは言葉を意識し過ぎる」 
と言われることもある。

受け手の感情を介せず、自分が言いたいことだけを言葉を選ばずに
羅列している人にとってはそう感じられることでしょう。

私の想いを言葉にすることへの強い思い入れは、
言語能力、並びに対人関係能力の高さの表われでもあるのです。
 私は相手との間に生まれる『言葉の力を信じています。

これからも自らが発する言葉に大いにこだわり、大切にしていきます。