2016年10月2日日曜日

10/01/16 【私の自殺念慮】

前回の【自殺を防げなかった
http://kokoronoartwork.blogspot.ca/2016/09/92816.htmlのブログに、たくさんのアクセス&コメントを頂いたので、
今回は私の自殺念慮について綴っていきます。
 
自身の自殺念慮のテーマの自作の詩とアートのコラボ作品
一本の絆

心を紐解くアート作り:プロセスを大切にする 『心のアート・ワーク』の
カナダBC州公認アート・セラピスト&同州公認心理カウンセラー
上原英子です。


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心理療法をしている私は、クライアントが描いた
自殺念慮のイメージを目にしたり、

死んでしまいたい、という話を耳にすることがある。

「もう、死んでしまいたい、というより、
今、生きていることが苦し過ぎるようだけど、
どんな感じ?」


頷き返す彼らの瞳には、誰かに本音を言えた
安堵の色が浮かんでいる。

私がセッションをしている十代の生徒は、
多感な年頃で、思い悩んで当然の年代。


誰でも十代の頃に一度は自殺を考えても不思議はなくても、
中には深刻に自殺を考え、実行してしまうこともある。


自殺への強い衝動は3分間くらいであると
大学院の授業で学んだ。


確かにその3分間をやり過ごせれば、
自殺を決行しないで済むことが多いようだ。

高校1年生だった私が死のうと思い立ち、
その前に誰か一人だけに伝えたいと電話したのは、
学校のスクール・カウンセラーの先生だった。

自分の心の苦しみを分かってほしかった。
自殺念慮をまともに受け入れてくれる人に。

あの時、留守番電話ではなく、先生が電話に出たことで、
私の人生は大きく変わった。


そして、つながった一本の電話が、
信頼できる人との心のつながりが、
私に翌日まで死ない約束を受け入れさせ、
生き永らえることになった。

私の命の恩人の先生にアートと詩のコラボ作品を贈りたい。

『一本の絆』

誰でも一度くらい
生きていたくなくなっても不思議はない。

そんな時、そこで留まるか、逝き急いでしまうかは、
ほんの糸一本くらいの違いしかない。

15歳の凍てつく日曜日の午後
もう、生きていたくないほど絶望し
 
一本だけ電話を掛けてから

そのまま高いビルから
飛び降りてしまおうと受話器を取った

先生は私の電話を受けて、

「どうせ死ぬのなら、今日でも明日でも変わりはないでしょう。
だったら、明日、学校に来て私に会いに来て、約束よ」


先生は慌てふためくこともなく、
平然とこう言い放って送話器を置いた 翌朝、先生に会うためだけに制服を着て、
重い心を引きづって
なんとか学校に辿りついた

その頃には、これ以上の重労働は考えられなくなっていた
自らの命を断つほどの意気も萎えていた


あの時、脆く崩れかけた
私の命を向こう側でしっかりと、

でも、平静に握り締めてくれた感触が消えかけていた私の命の火を
もう一度灯す勇気につながった
 
一本の電話が心と心を結ぶ絆となって
命綱となってくれた

今度は私が差し伸べてくる小さな手の反対側で
しっかりと握り締めよう
一本の絆を、心の命綱を

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