2017年10月18日水曜日

10/17/17 【心のカラクリって?】

この頃、朝晩の気温が零下になる西カナダです。
山並みの頂上には、雪が見られるようになってきました。
たった3週間くらいの短い秋を経て、カナダの冬の到来です!

自らの体験を通して心のカラクリが分かった!

心を紐解くアート作り:プロセスを大切にする 『心のアート・ワーク』の
カナダBC州公認アート・セラピスト&同州公認心理カウンセラー
上原英子です。 

 
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1週間ほど前のFacebookにこんなことを書きました。



https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10210467230618921&set=a.1071545150729.2011559.1289153113&type=3&theater

一応、ここにも記しておきます。

「神様は越えられない試練は与えない」というけれど、
そんなに私を買い被らないでと悲鳴を上げたくなることが。

この半年間がそうだった。

実を言うと母が最終段階の癌患者であると分かった昨8月から。


確執が深かった母が病み、そして、逝き、子どもの頃から抑圧してきた
さまざまな感情が心の中に怒涛のように溢れ出してきた。

その時に感じられなかった氣持ちは押さえつけられていたけど、
消えてなくなったわけではなかった。

時を超えてその氣持ちが蘇った時、その強烈さに
夜中に目が覚めて、寝付けないこともあった。

自分の氣持ちをとことん感じることに疲れ切った、今日この頃、
やっと自分を受け入れられるようになったのかも知れない。

こうやって少しずつ忍耐強くなっていくのかな。
 

「今はそんなふうに感じられないかも知れないけれど、
あなたは(苦難を)乗り越えられるくらい強い!」



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こう書きながらも、スッキリしない氣持ちも感じていました。



ところが、今朝、ある心理療法のセラピストのコラムと出会って、
目から鱗が落ちました!



正に今の自分の心の変遷の体験と合致する感覚があり、


共時性を感じました。



私の氣づきのきっかけとなった部分を意訳を「」内に、
青字は私の書き込み部分です。



『希望に満ちた悲しみ:自らの(喪失感に伴う)
悲しみを受け入れられたら
幸せ感が感じられる



「私はクライアントに、過去に起こったことは終わったこと。

 割り切って、今、ここを生きるのよと説いてきた」
北米の認知行動療法では、分析的に理由を求めず、
実存的に今にフォーカスする方法をよく取り入れる。 



「セラピストとして他者を勇気づけている私は、

 自分の悲しみと繋がって弔う作業をしないで邁進してきた」
仕事柄、他者の感情にフォーカスしている分、自分の感情との繋がりが
希薄になってしまうことがある。



「ところが、自分が底知れぬ深い悲しみに襲われるようになり、

 自分が弱くて傷つきやすいと感じながら、悲しくて、
 ずっと泣き続けた」
私はこの一年以上の間、悲しくて悲しくてやりきれない氣持ちで過ごした。

特に母が逝ってからは、
子どもとして感情面が不幸だった家庭生活が
フラッシュバックして、自分にはこんなに涙があったのかと驚くくらい
毎日のように涙に暮れていた。
「でも、この作業を通して自分の中に全体性が生まれた!」
後から振り返ると、この時期を通らずに心の全体性の実感は
起こり得なかった。




「私は人生は潮の満ち干のようだとは感じていなかった。

  戦士のように人生に立ち向かい、生き延びて勝ことに

 地道を上げて生きてきた。

 苦しい子ども時代を乗り越えるのに必要な生き方だった」

アドラー心理学の考え方に『過補償』と呼ばれるものがある。

人は、自らの劣等感を何らかの形で克服しようと邁進する。

病弱さ、家族内での弱者、学校での孤立感などを払拭したくて、
敢えて逆境に挑戦して、目標を達成することに全ての力を注ぐ
生き方をしてきた。



「私が人生で心から愛していた人々を失ったこと、

 虐待などから子どもとして無邪気に生きられなかったこと、

 私の将来の夢が壊れたこと、

 そして生き延びるために必死で、自分自身さえ失ったこと。」
両親にとって異質な存在として生まれた私。
性格的にそっくりだと言われていた父の兄、K伯父は、
私が生まれた翌年に早逝。

可愛がってくれた父方の祖父は認知症を患った5年後、
私が13歳の時に亡くなった。

精神的に生き地獄だった実家では、個人として認められず、
役割ばかり押し付けられてきた。
地元を愛し、ずっとそこで生き続ける将来。

そんな失望の欠片を”なかったことにして”生きている内に
本来の自分がどんなだったか分からなくなっていった。



「自分自身の心の闇の中の嘆かわしい部分と繋がれないならば、
全体性を通して自分として完全であるはずがない」

私は自らの心の闇を忌み嫌い、疎んじて受け入れなかった。
もう、悲しい氣持ちを二度と感じたくなかったから。

傷ついても平気な振りをしていたら、そのまま氣にならなくなる。
そんな生き方がしたくて、いつも自分以外の誰かのように振る舞っていた。

その間に悲しみは心の中に静かに、そして、着実に振り積もっていった。

そして、私はいつも心の中に風穴があいているような薄ら寒さを
感じながら生きてきた。


「私は自らの心の声を、その悲しみを聞くことを学んでいる」
私の最初の記憶は、「この世に生れて来たくなかった」憂鬱さ。

そこから、打ちのめされるほどの強烈な悲しみを振り払って
生きてきた分、今、悲しみが心の中に精彩に返り咲いている。
 


「手を伸ばして、私自身の手を握ること:

 子どもとしてあり得ないくらい過酷な状況を体験しすぎて、

 震えている女の子の手を」
機能不全家庭には人様に晒せないような惨事が溢れていた。
誰にも助けを求められない絶望的な日々を生き抜いた少女。

私はその存在さえも葬り去ってしまいたかった。
思い出すには辛過ぎて、悲しすぎて、耐えられなかったから。



「過去に対峙し、(自分を)許し、(心が)平和になり、

 そして、その痛みを手放すこと」
母の病、そして死をきっかけに起こった
私の一生分の悲しみのフラッシュバック。

願ったように愛されないで育つしかなかった私を許そう。

子どもだった私を愛することができなかった家族が
私にしてきたことを受け入れよう。

家族全員が愛されないで育った家系という大樹に
愛の花は咲かず、愛の実もみのらなかった。
それは年月を経て育った、愛されない連鎖という年輪だった。

とめどなく現れていた子ども時代からの
フラッシュバックは、
空のリールが回り続ける乾いた音にとって変わった。



「今、人生は潮の満ち干のようだと心から信じられる氣がする」
古文は苦手だったのに、平家物語のこの一節は諳んじている。
祇園精舎の鐘の声

諸行無常の響きあり

沙羅双樹の花の色

盛者必衰の理をあらわす

おごれる人も久しからず

ただ春の世の夢のごとし

たけき者も遂には滅びぬ

偏に風の前の塵に同じ
盛んな者も必ず衰えるという道理。

おごり高ぶっている人(の栄華)も長く続くものではなく、まるで
(覚めやすいと言われている)春の夜の夢のようである。

勢いが盛んな者も結局は滅亡してしまう、まったく風の前の塵と同じ。

人の人生での干満と、この
盛者必衰の理がリンクする。



「(今、強烈に感じている)この圧倒されるような深い悲しみは

 自己包容(受容)のために起こっている」
私は過酷だった現実から生き延びるために、自分は弱く傷つきやすいと
感じたら立ち直れなかったために、果たせなかった悲しむという作業。
それが今、洪水のように身にも心にも溢れ返っている。

でも、この辛い時期は、自分を受け入れるための過程として起っている。

頭で理解しながら、心はもがき苦しみ、魂はその模様を静観している。
 

ニードル・フェルトでこのトピのために色が微妙に混じった♡を手作りした。  

そして、 全体性を通して自分を一人の人間であると確信し始めた。



「この悲しみに打ちひしがれる(グリーフという)作業の結果、

 私は自ら、そして、他者と、より深く繋がれた実感がある」

怒涛のような1年2ヶ月の悲嘆の作業は小休止に入ったようだ。

自分の心の変化に呆然と立ち尽くしている私だけれど、
そこに全体性が現れた感じがしている。
すると、全く違う人生を送っているように見える他者の心のありように、
自分の人生の過程と同じカラクリが感じられるではないか! 
 


「私は新しい方法で自分の傷つきやすいという特性を学んでいる。

 新しい光の中で、自分の人生を理解し始めた。
憑き物が落ちたようなホッとした中で、自分が人との関わりで傷ついても、悲しんでも、それでいいのだと腑に落ちた。
これから、心が傷つかないという選択が私の人生にはないとしても、
体験したことから大いなる氣づきを与えられる歓びがある。


「今は失ったものがこんなにたくさんあったと悲しいけれど、

 これからに希望が感じられる。

 この作業をしていくのに時間は掛かっても、

 自分の本質を生き始められるであろうことが」  
私が一生懸けて辿り着きたいのは、自分の本質。
たとえ辿り着けなくても、この課題に取り組んでいく姿勢に意味がある。
心の中のたくさんの歯車がカチッと合って、回り始めるような感じ。

私は自分の人生が本質的であれば本望なのだ。
それ以外に望むものなんて他にあるかしら?

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「自らの(喪失感に伴う)悲しみを受け入れられたら、

 幸せ感が感じられるようになる」


英文の文献:




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